長坂聖マリヤ教会の沿革
長坂聖マリヤ教会は、英国国教会の流れを汲み、伝統と理性と聖書を大切にする、聖公会(アングリカン/エピスコパル)の教会で、日本聖公会横浜教区に属しています。日本には、聖公会の11の教区があって1つの管区を作っており、英国のカンタベリー大主教座と完全相互陪餐の関係にある教会で構成するアングリカン・コミュニオンに連なっています。聖公会が諸教会との関係でどのような位置にあるかは、こちらの図をご覧下さい。
長坂聖マリヤ教会は、ポール・ラッシュ博士らの清里農村センター(キープ協会)と共に発足した清里聖アンデレ教会の信徒が1955年頃から開いていた伝道集会や子供会が基礎になり、1962年に認可を受け、設立されました。
山梨県内の聖公会の三教会(甲府聖オーガスチン教会、清里聖アンデレ教会、長坂聖マリヤ教会)で山梨県宣教委員会を組織し、合同礼拝や子ども向けプログラム等を行っています。また、毎年1月に山梨県教会一致懇談会が主催する教会一致祈祷会に参加するなど、教派を越えた交わりも大切にしています。
長坂聖マリヤ教会 年表(前史から現在まで)
年 | 月日 | 出来事 | 教役者 | 教区主教 | |
1935年 | 小海線が全線開通する。太平洋と日本海を結ぶ中部横断鉄道として構想されていた。多くの朝鮮人労働者が工事に従事。 | 第4代 主教サミュエル・ヘーズレット (1922年1月~1940年10月) | |||
※ 昭和初期、山梨県は日本全国の中で沖縄に次いで貧しかった。 | |||||
1936年 | 日本聖徒アンデレ同胞会(BSA)の指導者訓練キャンプ場の候補地として清里が視察される | ||||
1938年 | 4月17日 | 小河内ダム建設で丹波山村を退去した28戸、62人が八ヶ岳念場ヶ原に入植 | |||
7月24日 | 清泉寮の落成式がヘーズレット主教の司式により行われる。 | ||||
1946年 | 清里聖アンデレ教会の前身が、聖徒アンデレ同胞会による農村センター構想の一環として生まれる。ポール・ラッシュ博士は当初、北巨摩に七つの教会を建てることを計画した。 | 第5代 主教須貝 止 (1941年9月~1947年8月) | |||
1948年 | 5月15日 | 清里聖アンデレ教会創立 | 第6代 主教ライト前川真二郎 (1948年2月~1953年11月) | ||
1950年 | 清里高原で酪農が始まる(翌年、米国からトラクターとジャージー牛が届く) | ||||
1955年 | 清里聖アンデレ教会に「信愛伝道会」が誕生、その活動によって長坂聖マリヤ教会の基礎が作られる(長坂の創立と共に解散)。 | 第7代 主教イサク野瀬秀敏 (1954年2月~1965年12月) | |||
1958年 | 箕輪弘道所にて、初めての聖餐式が行われる | ||||
1961年 | 長坂聖マリヤ教会の聖堂建築の計画が具体化 ※ 農村教会設立のため、米国婦人信徒から多くの献金が届く | ||||
1962年 | 1月 | 清里聖アンデレ教会定例教会委員会にて教会区について協議され、弘法坂から下に住む信徒、52名が長坂へ行くことに。 | |||
3月17日 | 長坂聖マリヤ教会の第1回信徒総会が牧師館にて開かれる | ||||
3月23日 | 植松従爾司祭、「山梨県長坂地区の牧会並に同地に教会設立の準備を命ずる」任命書を受ける | 司祭 アブラハム植松従爾 | |||
4月22日 | 復活日礼拝をもって、植松司祭及び長坂に移る信徒は、長坂に異動。 | ||||
4月25日 | 長坂聖マリヤ教会の設立認可がおり、植松司祭が牧師に任命される | ||||
6月6日 | 日本聖公会長坂聖マリヤ教会聖堂聖別 | ||||
○ 農繁期は、北の割で屋外での聖餐式を行っていた。○愛餐献金が始まる。 | |||||
1963年 | 植松司祭が1年間(1963年4月~1964年3月)米国・英国に留学。その間、八城昴一司祭が長坂の牧師館に住んで管理 | 管理牧師 司祭ジャスティン・マーター八城昴一 | |||
4月 | ポール・ラッシュ博士の友人サラ・ダーナル夫人寄贈の約50本のハナミズキが植樹される。当時は珍しかった。 | ||||
1972年 | 3月7-8日 | 第1回巡礼(主教座聖堂、東京聖アンデレ) ※「巡礼」は、長坂、清里の受洗者が主教座聖堂に行って堅信を受ける機会に、同伴者共々、東京近郊及び教区内の諸教会を巡る旅として始まり、11回を数えた。第4回までは初めに堅信式が行われた。第6回まで清里と長坂の合同で行われた。 | 牧師 司祭アブラハム植松従爾 | 第8代 主教ステパノ岩井克彦 (1966年3月~1983年) | |
1973年 | 2月22-23日 | 第2回巡礼(主教座聖堂、東京聖アンデレ、立教大学) | |||
1974年 | 2月15-16日 | 第3回巡礼(主教座聖堂、房州教会巡り) | |||
白倉昇進兄および三人の孫たちがハナミズキの実を採取。翌年播種し、数年かけて苗を育てる | |||||
1975年 | 1月27-28日 | 第4回巡礼(主教座聖堂、沼津) | |||
1976年 | 2月21-22日 | 第5回巡礼(主教座聖堂、銚子) | |||
6月4日 | 当教会に在籍したことのあるサムエル輿石勇師、司祭按手(北関東教区) | ||||
9月15日 | 中部教区教区会が植松従爾師を主教に選出 | 管理牧師 司祭バルナバ武藤六治 | |||
10月20日 | 小冊子 『花水木の由来』(白倉昇進著)発行 | 牧師補 執事マルコ高田 眞 | |||
11月 | 植松従爾師が中部教区第6代主教として転任、高田眞執事が着任。 | ||||
1977年 | 3月1-2日 | 第6回巡礼(主教座聖堂、名古屋聖マタイ) | |||
12月14日 | 高田眞司祭按手式 | 牧師 司祭マルコ高田 眞 | |||
1979年 | 1月1日 | 創立15周年記念誌を発行 | |||
3月19-20日 | 第7回巡礼(主教座聖堂、山手、逗子、鎌倉、聖ミカエル学院) | ||||
12月12日 | ポール・ラッシュ博士逝去 | ||||
○ この当時の定例行事: 清里長坂信徒懇親会、被献日清里長坂合同聖餐式、清里長坂日曜学校一日キャンプ、清里長坂日曜学校教師学習会、伝道映画会、県下中高生修養会、収穫感謝の日礼拝(捧物を韮崎市立老人ホーム静心寮に寄付)、県下教役者会、県下合同教会委員会。 | |||||
○ 信甲教役者会が始まる(山梨と長坂の県境地域の宣教を模索)。 | |||||
○ 入江修神学生が夏季勤務 | |||||
※ この頃から「清里ブーム」が始まる(※ 萌木の村(1979)、清里の森別荘地(1985~88) オルゴールの博物館ホールオブホールズ(1986)、丘の公園ゴルフ場 (1986) 、大泉清里スキー場 (1990) ) | |||||
1980年 | 4月 | 白倉昇進兄の育てたハナミズキの苗木を、緒教会に届ける(横浜聖アンデレ、山手、鎌倉、小田原、藤沢、平塚、大磯、林間、こどもの園、市川聖マリヤ、千葉、八日市場、茂原、銚子) | |||
4月21-22日 | 第8回巡礼(主教座聖堂、秦野聖ルカ、小田原聖十字) | ||||
1981年 | 復活節 | 小冊子 『たけふみちゃんと十字架』(細貝岩夫司祭著)が発行される | |||
5月7-8日 | 第9回巡礼(主教座聖堂、川崎聖パウロ、全生園、ナザレ修女会) | ||||
○ 県下三教会合同ソフトボール大会(1984年頃まで)、県下三教会司式者交換、山梨県下三教会合同のお花見会が始まる | |||||
○ 入江修神学生が夏季勤務 | |||||
1982年 | 3月23-24日 | 第10回巡礼(主教座聖堂、平塚聖マリヤ、進和学園、エリザベス・サンダースホーム) | |||
前島毅兄が白倉昇進兄の後を継ぎ、ハナミズキの実生の苗を育てる | |||||
○ 1982~83年の2年間、山梨県三教会で初めて教区婦人会執行部を担当し、輿水江つ姉が会長を務める。 | |||||
※ 中央道全線開通 | |||||
1983年 | 3月16-17日 | 第11回巡礼(主教座聖堂、平塚聖マリヤ、浜松聖アンデレ) | |||
12月21日 | 当教会出身のフランシス中山茂司祭按手式(東北教区) | ||||
○ 牧会学習会が始まる | |||||
1984年 | 2月26日 | 長坂で高校時代を過ごした植松誠師、司祭按手(大阪教区) | 第9代 主教ラファエル梶原史朗 (1984年1月~2001年7月) | ||
1985年 | 1月30日 | 高田眞司祭離任、大澤克次司祭着任 | 牧師 司祭マッテヤ大澤克次 | ||
12月1日 | 小冊子 『わが主、マルタを愛す – イエス様とふれあいて』(ジョージ・スィンカー著、浅川敏訳) 発行 | ||||
○ 聖書勉強会(毎週水曜日)が始まる。婦人会で高齢者・病者にクリスマスプレゼントを届ける活動が始まる(以後、2002年度迄)。 | |||||
1986年 | 5月18日 | 聖餐式を対面式で行うようになる | |||
8月17日 | 平和記念ミサ(司式;マイケル・イップグレイブ司祭(現・英国教会ウーリッジ教区主教)) | ||||
10月27日 | 平和を祈る諸教会の集い(当教会にて) | ||||
○ 平和祈念ミサおよび「小さな平和の集い」(公開講演会)が始まる | |||||
※ 中央道長坂IC開通 | |||||
1987年 | 1月19日 | 山梨県教会一致懇談会祈祷会(当教会にて) | |||
8月 | ○ 「おやこ平和文庫」後援会発足 ※地域に開かれた「戦争体験を心に刻み、『平和をつくりだす人々』に役立つ場」として文庫設置。 | ||||
1988年 | 9月15日 | 県下合同礼拝(当教会にて) ※以後、現在まで続く | |||
1990年 | 4月24-26日 | 教会巡り(房州) | |||
1991年 | 5月13-14日 | 教会巡り(岡谷、松本) | |||
6月9日 | 教会設立三〇周年記念礼拝(植松従爾主教説教、50名出席) | ||||
11月3日 | 聖鐘・聖塔祝別式(30周年記念事業) | ||||
1992年 | 8月6-28日 | 田中英和神学生 夏期勤務 | |||
12月9日 | 聖鐘を横浜新伝道(横浜聖クリストファー教会)に移譲 | ||||
※ 日本のバブル経済崩壊 | |||||
1993年 | 4月20-21日 | 教会巡り(横浜聖アンデレ、八日市場、銚子) | |||
7月31日-8月29日 | 大野清夫神学生 夏期勤務 | ||||
○定例教会委員会にて、10年位を目処に牧師館の新築を考えることを決議。 | |||||
○教区婦人会の会長を浅川安子姉が務める。 | |||||
1994年 | 3月29日-30日 | 大澤司祭離任、古川司祭着任 | 牧師 司祭イマヌエル古川潤児 | ||
8月6日-28日 | 小林祐二神学生 夏期勤務 | ||||
○ 子どものためのクリスマス会が始まる | |||||
○ 桜花見(清春, 4/17)、教会お泊まり会(8/2-4) | |||||
1995年 | 1月21日 | 韮崎カトリック教会と一致礼拝(韮崎にて) | |||
8月 | 宇津山武志神学生 夏期勤務 | ||||
○ この年から「平和祈念会」(「平和記念ミサ・小さな平和の集い」から改称)が県下三教会共同主催で行われるようになる | |||||
○ 秋の遠足(10/28原村) | |||||
○ 横浜バロック室内合奏団演奏会(4/14, 受苦日)、宣教コンサート(9/30, フィリア美術館にて、志村拓生オルガン演奏) | |||||
1996年 | 1月21日 | 峡北地区キリスト者一致祈祷週間礼拝(当教会にて) | |||
8月10-30日 | 片山謙神学生 夏期勤務 | ||||
○ 山梨県三教会日曜学校を語る会 | |||||
○ 春の遠足(5/6, 小布施)、秋の遠足(11/30, スパティオ小淵沢) | |||||
○ 伊藤健爾ギター演奏会(4/5, 受苦日)、アントゥル・レ・ブランク弦楽四重奏団演奏会(6/7) | |||||
1997年 | 3月22日 | 植松誠師、主教按手(北海道教区) | |||
9月20日 | 講演会「韓国に生きた浅川巧・ご存知ですか」(講師:山村正光)を山梨県三教会で共同開催 | ||||
○ 礼拝堂玄関、障害者用トイレ増築工事 | |||||
○ 峡北弦楽四重奏団演奏会(3/28, 受苦日)、35周年記念音楽会(6/13, オルガン:日野正雄、ソプラノ:海野紀美子) | |||||
1998年 | 7月15日-8月10日 | 島田征吾神学生 夏期勤務 | |||
7月29-31日 | 教区サーバー研修会(当教会にて) | ||||
○ 秋の遠足(11/21, 奈良井宿) | |||||
1999年 | 4月1日 | 松村誠執事が牧師補に着任 | 牧師 司祭イマヌエル古川潤児 牧師補 執事オーガスチン松村 誠 | ||
7月28-30日 | 教区サーバー研修会(当教会にて) | ||||
○ 秋の遠足(11/10, 清水聖ヤコブ教会) | |||||
○ 聖書研究会(週1回)、八ヶ岳南麓賛美歌をうたう会(※毎月1回、第50回まで行われた。古川司祭が代表となり、超教派の集まりとして、主に聖堂以外の場所を会場にして開催された) | |||||
2000年 | 6月16日 | 松村誠司祭按手、副牧師着任 | 牧師 司祭イマヌエル古川潤児 | ||
6月18日 | 黙想と祈りの集い(指導:植松功) | 副牧師 司祭オーガスチン松村 誠 | |||
8月31日 | 古川潤児司祭 退職、牧師退任 | ||||
○ 春の遠足(5/25, 明野村フラワーセンター) | |||||
2001年 | 3月27日 | 主教座(チャンセル内の椅子)設置 | 牧師 司祭オーガスチン松村 誠 | ||
2002年 | 2月23日 | 当教会に在籍したペテロ高良孝太郎司祭按手(沖縄教区) | 第10代 主教ヤコブ遠藤 哲 (2002年1月~2008年3月) | ||
5月11日 | エッファタの会(当教会にて、約80名の参加) | ||||
6月30日 | 黙想と祈りの集い(指導:植松功) | ||||
○ 教会絵はがき第1集発行 | |||||
2003年 | 3月31日-4月4日 | 聖堂裏もみの木10本伐採 | |||
2004年 | 1月18日 | 韮崎カトリック教会との合同礼拝(当教会にて) | |||
○ エラン弦楽四重奏団によるチャリティコンサート(8/11) | |||||
2005年 | 1月23日 | 韮崎カトリック教会との合同礼拝(韮崎にて) | |||
9月17日 | 牧師館祝福式 | ||||
11月3日 | 会館落成式 | ||||
○ 宮沢賢治についての講演・弾き語りの集い(5/28)、チャリティコンサート(12/16) | |||||
2006年 | 1月22日 | 韮崎カトリック教会との合同礼拝(当教会にて) | |||
2月11日 | 聖堂と会館の間の廊下とスロープ設置 | ||||
10月27日 | 聖堂の赤絨毯を新調 | ||||
○ CD制作、楽団の練習等に、会館が貸し出される | |||||
○ 会館改築記念チャリティコンサート(8/26)、山本晴美さん歌語り(9/3)、アコースティックナイト(9/23)、ブルーグラス・チャリティコンサート(12/10)、MCカンタービレによるマンドリン・クリスマスコンサート(12/24)、身延ジュニアコーラスのミニコンサート(12/24) | |||||
2007年 | 8月8日 | ピースデイが当教会を会場にして行われ、約150人が参加 | |||
○ 森の幼稚園、oshoワークショップに、定期的に会館が貸し出される。 | |||||
○ breathチャペルコンサート(5/12)、松尾地恵子チャリティコンサート(8/25)、ブルーグラス・チャリティコンサート(9/16)、Too Dumb to Dieライブ(11/9) | |||||
2008年 | 4月1日 | 友寄景方執事が牧師補として着任、武藤謙一司祭が管理牧師に着任 | 管理牧師 司祭ルカ武藤謙一 | 第11代 主教ローレンス三鍋 裕 (2008年6月~2018年3月) | |
○家庭集会再開 | 牧師補 執事パウロ友寄景方 | ||||
2009年 | 1月1日 | 島田征吾司祭が管理牧師に着任 | 管理牧師 司祭ダビデ島田征吾 | ||
12月25日 | 小冊子 『ハナミズキの由来』(前島毅編)が再刊される | 牧師補 執事パウロ友寄景方 | |||
○ サマーコンサート(8/22, マーチン・フォーゲルによるギター演奏) | |||||
2010年 | 清家智光司祭が嘱託司祭に着任 | 管理牧師 司祭ダビデ島田征吾 嘱託司祭 司祭清家智光 | |||
2011年 | 4月1日 | 眞野玄範聖職候補生着任 | |||
12月3日 | 眞野玄範聖職候補生が執事按手 牧師補に着任 | 牧師補 執事パウロ眞野玄範 | |||
○ マリヤ・コンサート(7/10, 永井みどり・永井祐子)、平和祈念講演会「平和が訪れる時~バングラデシュでの取り組みから」(7/18, 講師:植松功) | |||||
○ 家庭集会(毎月)、聖書朗読会(毎週) | |||||
2012年 | 1月26日 | 山梨県教会一致懇談会祈祷会(当教会にて) | |||
6月3日 | 長坂聖マリヤ教会 五〇周年記念礼拝 | ||||
○ 平和記念講演会「キリスト者としての浅川巧」(8/18,講師:広谷和文司祭)※この年から、名称と主催を元に戻した | |||||
○ 第二回マリヤコンサート(9/23,森田基子) | |||||
○ 家庭集会(長坂、白州、小荒間など。他に大斎節中は毎週各地で開催)、聖書朗読会(毎週)、毎週木曜日会館にて聖書を学ぶ会、逝去者記念礼拝(毎月月末土曜日) | |||||
2013年 | 5月31日 | 眞野玄範執事が司祭按手 副牧師に着任 | 管理牧師 主教ローレンス三鍋 裕 副牧師 司祭パウロ眞野玄範 | ||
10月1日 | 眞野玄範司祭が牧師に着任 | 牧師 司祭パウロ眞野玄範 | |||
2017年 | 4月1日 | 眞野玄範司祭が管理牧師に着任 | 管理牧師 司祭パウロ眞野玄範 | ||
2018年 | 4月1日 | 中部教区渋澤一郎主教が横浜教区管理主教に着任 | 第12代 主教イグナシオ入江 修 (2018年9月~現在) | ||
9月8日 | 入江修司祭が主教に按手され、横浜教区主教に就任 | ||||
2023年 | 4月1日 | 小林祐二司祭が管理牧師に着任 | 管理牧師 司祭サムエル小林祐二 | ||